障害者権利条約と新しい差別

1945年10月、第二次世界大戦の連合国を中心に51ヶ国の加盟国により設立された国際機関「United Nations(国際連合)」は安全保障、経済、社会、文化などの国際協力の実現を掲げ、現在は193ヶ国が加盟する、最も広範な権限と普遍性を有する国際組織となりました。

その国際連合(以下、国連と表記)は「自由権規約」「社会権規約」「女性差別撤廃条約」などの主要な人権条約のひとつとして、2006年「障害者権利条約」を国連総会で採択。

その中で「合理的配慮」という文言を用い、合理的配慮の不提供は差別であると定義しました。

これによりこれまでの「差別」とは意味合いの違う新しい「差別」が定義されたのです。

目次

二種類の差別

これまで国際人権法において、差別とは「等しい者を異なって扱うとき」に生じるものだと理解されてきました。

例えば、性別や人種、障害があるからといった理由で、他の者と同じように扱わない。

本来、等しくあるべき者を異なって扱うことで不利益を与えることが差別でした。

表現は難しく思えますが、ジェンダーで権利が違うとか、障害者だから〇〇させない…など、
ずっとあり続ける差別の事ですね。

まだまだこの種の差別は根強く残っていますが、そこに新しい差別が定義されました。

それは「異なる者を等しく扱うとき」に生じる差別です。

つまり、障害のある者に対し、障害のない者と同じように扱うことで生じる不利益を与えることが差別であると定義したのです。

例えば、視力の弱い人に対して視覚情報のみの講義しか行わない時、その人は他の方と同じようには受講出来ていません。
一見平等にやっているようですが、条件が違うのだから不公平になります。
障害のある人に対してはそれを踏まえた配慮をすることでやっと同等になることもあるよ。ということです。

この背景には1990年に成立した「障害を持つアメリカ人法(Americans with Disabilities Act)」や2000年の欧州人権裁判所による「スリメノス対ギリシャ事件」の判決がありました。

障害を持つアメリカ人法(Americans with Disabilities Act):1973年に制定されたリハビリテーション法と共に、障害による差別を禁止する適用範囲の広い公民権法として1990年に制定された。制定過程の議論では、障害のある者が学歴や収入の面で不利な立場にあること、障害があることが能力のないことと同視されること、また善意という見せかけによって差別や排除がないもののように取り繕われてきたことなどの結果として障害者が社会福祉プログラムに依存するようになったことを問題視し、就労へのアクセスを阻んでいる差別を禁止するために制定に至った。障害(disability)を持ち、当該職業への適格性を有する者に対しては「合理的配慮」の提供を検討しなければならないとしている。

スリメノス対ギリシャ事件:エホバの証人の信者であったスリメノスは、その宗教的信念に基づき軍服を着用しなかったために有罪判決を受けた。彼はその後、犯罪歴を理由に公認会計士の職に就くことが出来なかった。欧州人権裁判所はスリメノスに対する有罪判決は宗教的理由での軍服着用を拒否したことであり、他の犯罪での有罪者とは違うとし、スリメノスを他と同等に扱ったのは不当であるとした。彼は他と異なる者であるため、異なる扱いをすべき(適当な例外を設けるべき)であったと述べ、ギリシャに対し信教の自由に関する差別であると認定した。

この新しい差別の概念が理解されるまでは時間がかかりました。

2006年に「障害者権利条約」が採択されるまで、国連では2001年12月より計8回の特別委員会が開催されました。

「異なる者を等しく扱うときに生じる差別」という合理的配慮の考え方は極めて新しかったため、2006年2月の第7回特別委員会でも合理的配慮の否定を差別と記すことに賛成と反対が対立していました。

国際人権法において差別禁止の義務は徐々にではなく、即時適用する義務となるため、合理的配慮の提供も即時適用せねばならず、新しい概念に対して即時適用することに抵抗感を感じていたものと思われます。

各国の理解が深まり2006年8月、第8回特別委員会では交渉の結果「障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む)を含む。」との条文を定めたのでした。

障害者権利条約と日本の批准

Nothing About Us Without Us.(私たちのことを私たち抜きに決めないで!)

この言葉はアメリカの国際保健NGO Health Wrights代表、障害者自立と地域に根ざした保健および障害分野のパイオニアであるデビッド・ワーナー教授の著作タイトルから引用され、障害者の権利条約を作ろうという動きの中で、多くの障害者がスローガンに用いていました。

障害者は保護される対象。自らの人生を自らで選択し決定することが出来なかった共通の経験がこのスローガンに込められています。

国連による障害者権利条約の特別委員会でもこのスローガンの下、各国の障害者当事者団体が傍聴し、発言の機会を与えられました。

当時、国際障害者同盟(IDA)の会長で、世界盲人連合(WBU)会長であったキキ・ノードストローム女史(Kicki Nordstrom)はスピーチの席で、各国代表に向かって「専門家として国家の代表団に障害者を含めることが極めて大切である」と述べました。

2006年12月13日に国連で採択された障害者権利条約ですが、日本は翌年、2007年9月28日に署名し、2014年1月に141番目の締約国・機関として批准しました。その間およそ7年間、ずいぶん時間がかかりました。

早期の批准に待ったをかけたのは実は障害者当事者団体でした。

これまでは身体・知的・精神と障害種別により各々で活動していた13の団体が中心となり、2004年、障害者権利条約の批准を目指し日本障害フォーラム(JDF)を設立しました。

政策委員会を設け、国連の提唱する障害者権利にほど遠い国内法の改正を一丸となって推し進めていきました。

その中で、障害者基本法の改正(2011年8月)、障害者総合支援法の成立(2012年6月)、障害者差別解消法の成立および、障害者雇用促進法の改正(2013年6月)と、国内法の整備が完了し、ようやく批准することとなったのでした。

法的な整備は整いましたが、現実の差別撤廃にはまだまだ理解が進んでいないようです。
差別撤廃の理解と合理的配慮の普及を広める努力が必要です。

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